CMC総合研究所

HISTORY

セレンディピティ的大発見

1989年、卒業論文に向けての研究も終盤に差し掛かっていた頃、実験室へ研究の進み具合を見に行った。
そこで学生の一人が、何気なく見せた一枚の写真。
この写真に、眼が釘付けになった。
これまでに見た事も、想像すらした事もない特異形状のセラミックスファイバーがあったのだ。
スプリングのようにクルクルと巻いていた。大きさは㎛オーダー。マイクロコイルだ。
岐阜大学に着任(1971年)以来20年近く、CVD(科学気相折出)法を用いたファインセラミックス結晶の合成を行い、何千枚という写真を撮ってきた。
しかし、スプリング状に巻いた結晶は、見た事がなかった。
その写真を見たとたん、全身に電流が走ったようで、足はがくがく、胸はどきどき。
なぜか、理由は分からない。
『これはいったい何だ!』と、思わず大声で叫んだようである(その記憶はないが…)。
当の学生はびっくり、叱られたと思ったのか、おずおずと『すごく面白い形のファイバーが出来たので、写真を撮りました』と。
『すぐにサンプルを!!!』興奮気味に話す私に急いでサンプルを用意する学生、ただならぬ雰囲気に、周りは唖然とした。
はやる気持ちを抑えて、そのサンプルを受け取ると、早速愛用の電子顕微鏡の前へ。
出てきた、出てきた、続々とダイヤモンドが。ゾロゾロ現れた。
それから1週間近く、時間の経つのも忘れ、無我夢中で写真を撮り続けた。
いろいろなポーズをとって微笑んでくれるスプリング状の窒化ケイ素マイクロコイルに、電子顕微鏡の前で、ワクワク、ドキドキ、一人感動を覚えながら…。
と同時にいろいろな可能性が頭に浮かんできた。
その写真が、アメリカの物理学会の速報誌や「Nature」に紹介され、世界的に反響を呼んだ。
多くの全国紙・地方紙にも紹介された。
「人間がミクロなセラミックススプリングを合成できた。」
世界的な大発見である。

らせん状に巻いた結晶との出会い

prologue

らせん

“ヘリカル(ヘリックス)”と“らせん”は、ほとんど同じ意味で使用されている。
“ヘリカル”という言葉は、DNAのDouble-helix structure(二重らせん構造)やタンパク質のα-Helix structure(一重らせん構造)など、主に生命科学や生体高分子化学の分野で用いられている。
一方、材料関係では“Screw Dislocation”(らせん転位)や“Screw Axis”(らせん軸)など、“らせん”という言葉が一般に用いられている。
つる性植物や巻貝などにおいても“らせん”が主に使用されている。
高分子分野においては、らせん構造で代表される規則的繰り返し構造から無秩序構造(ランダムコイル型)への変化、あるいは逆の変化(転移)は“ヘリックス-コイル”転移(Helix-Coil Transition)というように、“コイル”という言葉も使用されている。
電線が細かいピッチで密にコイル状に巻いた中空円筒状のものを“ソレノイド”(Solenoid)という。
“スパイラル”は、スパイラル管、デフレスパイラルのように比較的大きなものに使用されている。

“キラリティ”は掌性(しょうせい)とも言う。
左手と右手の関係のように、ある物質、構造、図形または点の集合体の実像が、その鏡像と重ね合わせることが出来ない、すなわち鏡像異性体を持ちうる構造的性質を言う。
実像を鏡像が重なり合わない形を“キラル”であると言う。
光学活性物質(右旋性-左旋性、d体‐I体)やヘリカル/らせん構造物質(右巻き-左巻き)に見られる。
後者は特に“コイリング・キラリティ”と呼ばれる。

セレンディピティとは

「思いがけない発明・発見をする才能」である。
2000年に筑波大学名誉教授の白川英樹博士がノーベル賞を受賞した際、その偉大な発明・発見は「セレンディピティ」によるものであるとしてこの言葉がマスコミで頻繁に使用され、広く一般の人にも知られるようになった。
セレンディピティという言葉は、1754年、ホレース・ウインポールが『セレンディップの3人の王子の冒険』というおとぎ話を読んで感心したことに始まる。
セレンディップとはセイロン(現在のスリランカの古称)のことである。
この3人の王子たちは、はじめから意図してではなく、いつも偶然に、しかもうまい具合にいろいろなものを発見していくのである。
ウインポールは、自分自身の偶然によるいくつかの発見を表現するのに「セレンディピティ」という表現を使用し、これが次第に広く用いられるようになったといわれている。

曰く

・発明とは、誰もが見ていることを見て、誰もが考えなかったことを考えることである(アルバート・セントジェルジ)。
・観察の場では、幸運は待ち受ける心構え次第である(パスツール)
・重要な発見は、単純な偶然な出来事ではない。世間一般の人が考える『思いがけない』とうより、ずっと『想像力』の部分が多い。深くて広い知識(認識力)、常に何かを求める気持ちは必須条件である(ポール・フローリー)
・偉大な発見の種はいつも私たちの身の回りに漂っているが、それを捕まえられるのは常に待ち構えた心に限られる(ジョゼフ・ヘンリー)
すなわち
研究・観察の場では、全く幸運な偶然性と、深くて広い知識に基づいた高度の認知力・鋭い洞察力・優れた感性によってもたらされる。
偶然起こる新しい現象や新物質も、全神経を集中して注意深く観察していないと、幸運の女神にソッポを向かれ、これを捉えることはできない。・・・のである。

偉大な発明・発見の歴史

偉大な発明・発見は、その時代には全く考えつかず想像すらできない。
またその時代の科学の常識を覆し理論に反するような新しい現象・物質・性質は、全く予期せず偶然にある日突然起こる。
その発明・発見が、その後の時代を大きく変えるような技術革新をもたらしてきたことは歴史が証明している。
ノーベルのダイナマイトの発明に始まり、X線、テフロン、ナイロン、インスリン、キニーネ(マラリア治療薬)、ペニシリン、アスピリン、天然痘ワクチン、ゴムの加硫、キラリティ(掌性)、ビッグバン、アスパルテーム、安全あわせガラス、ポリカーボネート、アンチノック剤、DNAの二重らせん構造、マジックテープ(ベルクロ)など、例を上げたらきりがない。
これらは、R.M.ロバーツ著、安藤喬志訳の「セレンディピティ」<科学同人、1993>に詳しく紹介されているので参照されたい。

大発見へのプロローグ(序章)

化学気相反応により単結晶を合成すると、気相中は何ものにも束縛されない自由な空間であるので、結晶は自由にのびのびと成長し、その個性を思う存分発揮して、幾何学・アート的なさまざまな美しい姿を見せてくれる。
ピラミッド状、四角柱状、骸晶状、中空状、樹枝状、六角板状、櫛状、パラソル状、小鳥状、海草状、バラ状、魚状など。
研ぎ澄まされた感性の賜物であるそれらの結晶写真は、日本セラミックス協会や金属学会などの顕微鏡写真展で何度も金賞を受賞した。
そんな結晶の中で、中空状結晶や薄い板状結晶がらせん状に巻いて成長した結晶にはひどく興味をそそられ、いたく感動を覚えた。次に、どのような形をした結晶にめぐり会えるか。
興味と期待を胸に顕微鏡を覗く中で、偶然にも、幸運にもこれらの結晶に遭遇した。

セレンディピティによるマイクロコイルの発見

窒化ケイ素マイクロコイルの発見は、まさしくセレンディピティによるものである。
高度に研ぎ澄まされた美的感性、四六時中頭の中にあるこれまでに見たこともない美しい結晶との出会いを待ち望む心、新しい形態・構造の結晶の潜在的可能性に対する直感力などがなかったら、単に物理的に目に見えて、“面白い形だなー”で終わっていたであろう。
そして、その先に、マイクロヘリカル構造物質のもたらす無限の可能性は見えてこなかったであろう。
運命の分かれ目である。
女神の微笑みは万人の上に。
しかしそれを捕まえられるのは、待ち構える心のみである。
大学院を修了後ある化学会社の研究所で有機/高分子合成の研究を行っていたが、企業での研究に違和感を覚えて1971年に岐阜大学へ。
しかしそこは大学-企業で経験した研究分野とは全く異なる分野(無機合成化学)であった。
違う分野の研究を経験していたからこそ、その新しい分野の常識にとらわれずに、起こった現象、得られた物質・形態・性質を違う視点から眺め、判断し、思考展開ができたのかもしれない。

岩永浩教授、川口雅之博士との出会い

そんな中、結晶成長学会で幸運な出会いがあった。
長崎大学の岩永浩教授(現名誉教授)とセントラル硝子(株)の川口雅之博士(現大阪電気通信大学教授)である。
岩永教授は、微小な結晶の評価では世界的な研究者である。
窒化ケイ素マイクロコイルの写真を見たとたん、「これ伸びますか?伸ばしてみましょう」と。
岩永教授は、窒化ケイ素マイクロコイルは極めて優れた弾力性があることを世界で初めて明らかにした。
川口博士は、職務としての研究の他に自由研究をしていた。
アセチレンの熱分解の研究である。
その過程で、たまたま不規則にコイル状に巻いた炭素繊維を見出した。

1989年

カーボンマイクロコイル(CMC)の合成と特性評価について、岩永教授と川口博士との共同研究が始まった。
研究を始めた当初は、コイル成長の再現性は低く、純度・コイル収率も低かった。

柳田博明教授との出会い

研究するには、研究費が必要であるが当時は助教授でもあり予算がない。まともな電子顕微鏡もない。
たまたま目にとまった日本最大の研究助成財団である「三菱財団」の研究助成に応募。
当時受賞者はほとんどが旧帝大の先生であり、地方大学は皆無に等しい。
まして地方大学出身で研究実績のない私にとって採択の見込みのない高嶺の花?でも、だめでもともと、申請書にはDNAと同様の二重ラセン構造という特異形状のカーボンコイルの写真を貼り付けて提出。
柳田博明教授は当時東京大学教授で、三菱財団の審査委員であった。
柳田教授のことは電子セラミックスの世界的権威者として十分存じ上げていた。
もちろん、柳田教授は私のことは全くご存知ない。

柳田教授の目が、申請書の一枚の写真に釘付けになった - 二重らせん構造のカーボンマイクロコイルの写真である - 『これは面白い』

『採択内定』。柳田教授から直接自宅に内定の電話をいただいた。
『研究助成金1,000万円を受け取っていただけますか』と。
“まさか”とわが耳を疑った。
足が震え、受話器をかたく握りしめた。
“はい!、喜んでお受けいたします”、“夢のようです”と何度も繰りかえした。聞いていた妻は、怪訝そうな顔。
高額の研究助成金の内定はもちろんであるが、私にとっての雲の上の人である柳田教授からわざわざ電話をいただいた。
そして、名もない地方大学の研究者の提案を評価し、高額の研究助成金を支給。
大感激である。三菱財団からの高額の研究助成は、岐阜大学では初めてだ。

審査委員は審査されている?

審査委員は申請書類を審査するのであるが、どのようなテーマ(研究者)を選定したかの審査結果により、逆に審査委員の資質・先見性が理事会などにより審査されていることにもなる。
また、それが将来どのような成果を出し社会に還元されたかにより審査委員が社会的評価されることにもなる。
したがって、教育・学術界の頂点にあり権威のある東大教授は、研究実績に乏しい地方大学の先生には、しかも将来どのように発展するのかもわからないテーマに対しては、通常大型の助成金を配分しない。
 当時、カーボンコイルが、将来どのような可能性があるのかわからなかったし、申請書にも書いていない。
1枚のカーボンマイクロコイルの写真が、柳田教授の先見力・直感力をいたく刺激し、閃きをもたらし、その無限の将来性を感じさせたのかもしれない。
そこに、東大教授らしからぬ、東大教授の枠を超えた偉大さ、すばらしい先見性を感じた。
それには応えなければならない。

CMCの育ての親…柳田博明教授

この研究助成金で、念願の電子顕微鏡・マイクロアナライザーを購入。
柳田教授との幸運な出会いとこれらの大型装置の駆使により、CMCの研究は事実上本格的にスタート。
柳田教授は、まさしくCMC育ての親である。また、CMCの最大の理解者であり、支援者でもある。
その後、研究は急速に進展。多くの論文を国際学会誌、専門誌に投稿し、実用化も始まった。
柳田教授との出会いがなければ、CMCも日の目を見なかったかもしれない。

ナノテクノロジーとヘリカル/らせん構造物質

21世紀はナノテクノロジーの時代であると言われている。
その中で、フラーレン(1985年、Krotoらが発見)やカーボンナノチューブ(1991年、飯島澄男が発見)などの新炭素系材料に注目が集まり、多くの研究者が精力的に研究を進めている。
フラーレンは、炭素原子からなる六角形と五角形(必ず12個)が球形に結合したもので、ちょうどサッカーボール状をしている。
生命体も同じような構造体を作り出している。
たとえば、これは球状珪藻土であるが、主として六角形と五角形からできている。
ナノチューブはベンゼン環がつながってできたシートが筒状に巻いて微小中空状ファイバーになったものである。
ナノテクノロジーの原点は生命体であり、これに学ぼう(バイオ・ミメティック)とする動きが活発化しているが、生命体の原点は3D‐ヘリカル/らせん構造であるという点が忘れられている。
ナノ化とヘリカル化はナノテクノロジーの両輪でもある。
ナノチューブ研究者の一部は、“ナノチューブは大変興味があるが、応用面ではカーボンコイルの方がはるかに魅力的である”として、コイルの研究を始める人が増えている。
事実、国策としてナノチューブに何百億円の研究費を投入しているが、いまだに大きな応用は見えてこない。
しかし、カーボンコイルはすでに化粧品、電磁波吸収材などへの具体的応用が進んでいる。
理論的・学問的興味のあるナノチューブに対して、宇宙から生命体、素粒子にいたる森羅万象の根源的構造・機能を持つカーボンコイルとの違いなのか。

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